常設展
琳派をたのしむ

西陣極細織掛け短冊「抱一 花鳥十二ヶ月画帖」

琳派とは

琳派の系譜

書画や陶芸、漆芸などに携わった芸術家、本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)。徳川家康から京都・鷹峯の地を拝領し、元和元年(1615年)に職人たちと芸術村をひらいたことが、「琳派」と呼ばれる芸術流派の始まりです。
そこで俵屋宗達らと創りだした美の系譜は、尾形光琳・乾山の兄弟へ。さらには、江戸で活躍した酒井抱一、明治大正期の神坂雪佳へと受け継がれ、その精神と本質は現代のデザインにおいても脈々と息づいています。

尾形光琳の「琳」を名乗る、琳派。しかしそこには、狩野派や土佐派のような師弟関係は存在しません。たとえば、宗達から光琳の間に100年という時がながれたように、数十年から100年おきに先人の仕事を慕う作家が現れては、工芸や絵画の領域をこえて数々の傑作を生み出してきました。いわば「私淑」の系譜といえます。
現代に至るまで、絵画や衣裳、漆芸、陶芸、屏風、扇面などさまざなジャンルにおいて琳派が受け継がれてきたのは、つねに新鮮で大胆華麗な意匠性を備えているからなのでしょう。

継承される美の源流

自らの才能を発揮するだけでなく芸術家や職人を育てることに力を注いだ、本阿弥光悦。図案やアイディアを提供し、工芸職人に意図を伝えてつくらせるという、アートディレクターという役割も果たした当代一流の文化人でもありました。

そして、琳派という美の継承は、京の街で生み出される美術工芸品とともにあったといえます。贅を尽くした高級品を求める人々と、それに応える一流の職人たち。その両方が存在することで、市井の根底にながれる「美の源流」は脈々と継承されてきたのです。

作品のご紹介

西陣極細織額装「風神雷神図」

俵屋宗達の最高傑作といわれる国宝「風神雷神図(建仁寺蔵)」。無限の広がりをみせる金箔の天空に、風を巻きおこし疾走する風神と、雷鳴をとどろかせて対峙する雷神。たらし込みと呼ばれる、墨や絵の具をわざとにじませる技法で描かれています。
風神雷神とはもともと仏教と共に中国から渡ってきた、風と雷を神格化したもの。宗達は、三十三間堂の千手観音の従者とされる風神雷神のみを描いたといわれています。

その後も、この画題は尾形光琳や酒井抱一、鈴木其一によって描き継がれ、「琳派」を象徴する作品といわれています。歴代作家たちの情熱に思いを馳せながら、西陣織で純金箔をつかって精緻に織り上げ、額装にしました。

俵屋宗達(生没年不詳)

江戸時代初期に活躍した絵師。陶芸や蒔絵、書などに才能を発揮した本阿弥光悦の下絵を描いたのが、俵屋宗達です。
下絵とはいえ、料紙と呼ばれる金銀泥で描かれた華麗なものであり、これが琳派と呼ばれる芸術一派のはじまり。宗達は伝統的な大和絵に、新しい大胆な構図と、たらし込みと呼ばれる独特な技法などで新しい画風をおこしました。

西陣極細織額装「紅白梅図」

尾形光琳の代表作、国宝「紅白梅図屏風(MOA美術館蔵)」をもとに、純金箔をつかって精緻に織り上げ額装にしました。
二曲一双の「紅白梅図屏風」は、金地を背景として、左隻には老成した枯淡の白梅を部分的に描き、右隻には青々と若さをたたえた紅梅を画面いっぱいに。中央には、図案化した水流が末広がりの曲面をつくり上げています。

金地と波の黒地がつくる明暗、梅の静と水流の動、そして若々しい紅梅と老練な白梅という、さまざまな要素が対峙する理知的な構図。
そして、線描きをしない梅花の描き方や、樹幹にみられるたらし込み技法、水紋のみごとな筆さばき。すべての要素が結集して生まれた重厚なリズム感と緊張感、しゃれた装飾性は、光琳晩年の一大傑作と讃えられています。

西陣極細織掛軸「燕子花図(右隻)」

尾形光琳の代表作である国宝「燕子花図屏風」を、純金箔をつかって精緻に織り上げ掛軸にしました。
一面の金箔地に群青と緑青の濃淡で描かれた、燕子花(かきつばた)の群生。左右隻の対照まで計算された機知的な構図で、リズミカルに配置されています。
平安時代の雅な世界(伊勢物語)を題材に人物を省いて表現したという、深い文学的世界を潜めた「燕子花図」。光琳の作品のなかでも最高傑作として知られています。

尾形光琳(1658年〜1716年)

江戸時代中期を代表する絵師。京都でも指折りの高級呉服商、雁金屋に生まれた光琳は、京の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びながら、明快で装飾的な作品を残しました。
そのあたらしい意匠感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠などに多大な影響を与えました。隔たりがあると思われる、絵画と工芸との境をやすやすと越えたのが光琳です。

西陣極細織掛け短冊「抱一 花鳥十二ヶ月画帖」

江戸琳派の巨匠、酒井抱一が描いた「十二ヶ月花鳥図」は、洗練された美しさが感じられる名品で、宮内庁蔵とされ皇室の至宝といわれています。
純金箔、プラチナ箔をつかって、西陣最高といわれる織技術で織り上げ、掛け短冊にしました。

酒井抱一(1761年〜1829年)

江戸後期の姫路藩主の、次男として生まれました。終生を江戸ですごし、芸術を好み、狩野派・琳派を探究。さらに俳諧、狂歌にも親しむなど風雅な生活を送りました。
琳派のなかでも抱一の作品は、気品あふれる筆致により花鳥風月のもつ凛とした気品が感じられ、宗達・光琳にはない江戸らしい洒脱さが感じられます。

西陣極細織全通全景丸帯「琳派の美」

日本の装飾意匠の最高峰とされる琳派を、丸帯のなかいっぱいに織り上げています。
タレ先からは、琳派の格天井のうえに扇を舞い躍らせ、流麗な扇が重なり合うお太古、手先からは琳派の格天井のうえに短冊を舞い散らせて風雅な短冊が重なり合うお太古に織り上げました。
純金箔とプラチナ箔を背景に、西陣織技術を駆使して制作した丸帯は、フォーマルな装いになくてはならない第一礼装の丸帯です。

西陣極細織丸帯「琳派四季草花図」

日本の装飾意匠の最高峰とされる琳派。その始まりは今から450年前の本阿弥光悦と俵屋宗達でした。
平安時代からつづく伝統文化を深く愛した光悦。それに呼応した宗達。
西陣極細織丸帯「琳派四季草花図」は、日本古来の風情を活かした光悦と宗達の琳派創成として名高い「四季草花下絵和歌巻」を、純金箔をつかい精緻に織り上げた丸帯です。